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統一教会と天皇家の深い繋がりは「文鮮明教祖と三笠宮含む皇族の記念写真」で明らかである事から、美智子様と統一教会の記念写真も掲載し解説してゆく。さらに、皇室の秋篠宮や小室圭の言動で判明した自民党清和会や統一教会との深い繋がりも解説する。

統一教会と天皇家の深い繋がりは「文鮮明教祖と三笠宮含む皇族の記念写真」で明らかである事から、美智子様と統一教会の記念写真も掲載し解説してゆく。さらに、皇室の秋篠宮や小室圭の言動で判明した自民党清和会や統一教会との深い繋がりも解説する。

【1-清和会及び統一教会と秋篠宮の関係から明確となる皇室の政治介入と美智子様の考え方】

以下に記述してゆく事は、生じている事象の表面的な事柄である。

よって、当項目のみをお読み頂いても、全体像の把握は難しい事と思うが、気にせず読み進めて頂ければ幸いである。

尚、週刊誌でさえも、私が記述している事実を一切報道しない。それは、『菊のタブーと報道規制が完全に浸透しているから』である。

それでは、統一教会と清和会および皇室の関係を解説してゆく。


1954年に韓国で設立された「世界基督教統一神霊協会|世界平和統一家庭連合(略称:統一教会|家庭連合)」には、1968年に設立された国際勝共連合という保守派で有名な政治団体が存在する。

当該組織は、韓国系の宗教団体なのであるが、日本の保守派と親和性が強い事でも有名な存在だ。

国際勝共連合は、満州財閥の政治家である岸信介 氏など日本の政治家が多数関わっている事からも、親和性の強い理由がよく分かる。

また、当該政治団体には、右翼のフィクサーと呼ばれている笹川良一 氏が名誉会長として君臨している事からも、その親和性は明確である。

現代の政治家の中で特に国際勝共連合と強い絆で結ばれている事が分かる人物といえば、岸信介 氏の孫にあたる安倍晋三 氏である。その事は、政治運動を見るとすぐにお分かり頂ける事と思う。

また、皇室と清和会や統一教会の深い繋がりも存在する。

例えば、三笠宮崇仁親王および各皇族が、統一教会の教祖である文鮮明 氏とテーブルを囲んでいる写真が現存している。

三笠宮崇仁親王一家と統一教会教祖の文鮮明氏一家の家族写真

《向かって左下1番目が統一教会教祖の文鮮明 氏であり、同2番目が三笠宮崇仁親王、同3番目が崔元福 氏である。向かって左上1番目が常陸宮妃華子殿下、同2番目が秩父宮妃勢津子殿下、同3番目が三笠宮妃百合子殿下、同4番目が高松宮妃喜久子殿下、同5番目が教祖の妻である韓鶴子氏である。この写真は、1965年1月、統一教会のワールドツアーにて文鮮明教祖一家が日本に立ち寄った際に撮影された写真である。尚、統一教会は1954年に設立された宗教団体であり、勝共連合が設立されたのが1968年である事から、三笠宮含めた各皇族は勝共連合設立以前から交流があった事となる。(2022.08.29、人定を修正)》

すなわち、この時点で統一教会と皇族の深い繋がりが分かるのである。

政治家ならば、選挙運動の一環で比較的安易に写真を撮る事ができなくもないが、皇族に選挙は無い。

したがって、票集めでもなく、皇族が自ら進んで教祖と家族写真を撮影している事実が浮かび上がるのだ。

そもそも『家族写真撮って下さい!』で複数の皇族と容易に家族写真を撮影できるだろうか? 宮内庁の関係も出てくる事から不可能であろう。日本の政治家ですら複数の皇族との家族写真は撮れないのだから、その難易度は明白である。

よって、上記掲載の写真が示す事柄は、皇室が利用されたうんぬん以前の皇族の実態であり、天皇家と統一教会の濃密な関係が明確に浮かび上がる現実なのである。

尚、三笠宮崇仁親王の息子である三笠宮寛仁親王は、自宅に統一教会と密接な関係にあるジャーナリストの〝櫻井よしこ〟氏を招きインタビューを受ける等がある事から、皇族と統一教会との関係が現在でも深い事は鮮明である。また、三笠宮寛仁親王妃の信子様は、統一教会の日韓トンネルを推進する麻生太郎の妹である。

その他の事柄であると、1971年1月8日、皇太子明仁殿下と皇太子妃美智子さま(平成の天皇皇后)及び秩父宮妃勢津子殿下並びに常陸宮妃華子殿下が、「統一教会リトルエンジェルス芸術団」の公演を観に行き、公演後に歓談されている写真および映像が現存している。(詳細は後述する)

この時、美智子さまは大変楽しまれ熱心に公演をご覧になられていた。この時の公演には、岸信介 氏及び笹川良一 氏並びに川端康成等も出席している。

翌年の1972年12月26日(第三回日本公演 東京日劇会場)にも美智子様及び秩父宮妃勢津子殿下並びに常陸宮殿下夫妻が大変楽しく熱心に観賞されている。

この時以降、芸術団の素晴らしさが認知され、日本での公演が増えていったのである。

余談だが、秋篠宮は1965年11月生まれ、名は〝文仁〟、長女は1991年10月生まれ、名は〝真子(まことの子)〟である。

昨今では、秋篠宮家の長女と小室圭さんの話題が世間を賑わせているが、「小室圭さんと統一教会系の関係」も存在している。(詳細は後述する)

ちなみに、高円宮は2002年に開催されたFIFA日韓ワールドカップに深く関与し、当該大会の開会式に参加するため、戦後初の韓国公式訪問を行いオープニングセレモニーを観賞された。尚、当該大会は「政治的安定」と「平和の祭典」の色合いをより一層強める事がコンセプトとされ、日本政府が特に力を入れた国家的事業であった。当該大会の開会式では「統一教会リトルエンジェルス芸術団」が出演し演舞をおこなっている。後に高円宮日韓交流基金が設立され、現在でも精力的に日韓交流に関する活動をされている。

また、突拍子もない話であるが、日本三代実録の第一巻には、天皇は百済から来た事が明確に記述されている。

これは、図書館で借りる事ができる書物である。

私は地震学を勉強していたのだが、この際に、災害のあった時期と、災害を祓う為に陰陽師に執り行わせた祭祀との関係を調べ、新収日本地震年表に記載されていない未発見の古地震を探していた。

この、日本三代実録新収日本地震年表照らし合わせている際に目に留まったのが、第一巻の初めに記載されている『百済から来た』との記述である。

尚、この時期に秋篠という人物も天皇の側近として百済から来たそうだ。(当然であるが現代の秋篠宮ではない)

このように、天皇家は朝鮮半島から来たという学術的な文献が存在する。

よって、『統一教会≒国際勝共連合(韓国)・保守派(日本)・皇室(日本)の政治的親和性の基礎は揃っている』事となる。

また、韓国は、第二次世界大戦後に朝鮮戦争が発生し南北が分断された歴史がある。

その後、反共思想が日韓両国で高まった事を背景に、日本右翼のフィクサーであり満州財閥の関係者である笹川良一や岸信介の協力のもと、韓国系宗教団体の統一教会が国際勝共連合を1968年に設立したのである。

結果として、日韓両国の保守派政治に、拉致問題などをベースとして国際勝共連合が深く関与するようになったのだ。

例えば、日韓両国は、政治的に内政の事から国民の目を逸らしたい時、互いの国民に第二次世界大戦を基軸にした人種的憎悪を向けさせる事が多いのも政治的相関性の基礎が揃っている事から理解頂ける事だろうと思う。(共通認識の敵を作り国民を団結させる政治手法)

拉致問題をも含むこれら政治手法がエスカレートし、2006年以降にはネット右翼全盛期が発生した。

ところが2012年、民主党政権から自民党政権に大きく舵を切り始めた矢先、国連から人種的憎悪表現を声高に指摘されたのだ。

当然、清和会などの保守派と蜜月な関係にある皇室も焦りを隠せなくなった。

したがって、皇室が打ち出した奇策は、日本三代実録等の歴史書に記述されている日本と朝鮮半島の関係や、第二次世界大戦以前の朝鮮王朝との関係を持ち出す事であった。

この奇策に徹底的に関わったのが、美智子皇后陛下である。

人種的憎悪表現の指摘に対し、『私たち皇室も百済から来た』という発言をおこない、『在日批判は駄目です』という姿勢をあらわにしたのだ。

また、秋篠宮家の動向としては、ネット右翼と相反すること必至の『在日の彼氏』という噂を意図的にネット上へ流布する事で、ネット右翼と親和性無い秋篠宮を演じ、ことの本質から目を逸らそうとしていたのである。

要するに、日本の保守派が作り出した『ネット右翼≒在特会』を利用し、〝自分達は在日批判から救ったヒーロー〟であるように振舞い始めたのである。

これらの事柄を端的に言えば、『弱い者虐めを裏で操っておいて、虐められている本人を救う』という酷い事をしている状態なのだ。

※2012年に、国連から人種的憎悪表現に関し日本へ是正勧告があった。尚、この時期にしばき隊等の反ヘイト過激団体が出現している。 また、法務省がヘイトスピーチ撲滅広告を出した時期でもある。 尚、警察庁等は、自民党政権に移行する事を考慮すると同時に、減少してきた自称保守団体等から活発化した左翼側に監視をシフトし、70年安保闘争を想起させる宣伝を始めた時期でもある。》

先にも述べたが、自民党清和会は韓国政治と蜜月な関係である事は言うまでもない。

これらは、韓国の元大統領である朴槿恵と日本の元総理である岸信介氏の関係を見ても分かる事である。

そこで、「第一次安倍政権直前の日本が国連から人種的憎悪表現を指摘された時期」および「第三次安倍政権下に皇室と安倍晋三が対立しているとの飛ばし記事が出ていた時期」に、美智子様が公表された以下の和歌に注目されたい。

ダブルスタンダードである事が分かる。


また、林とは、秋篠宮眞子様が幼少期から家族ぐるみのお付き合いをしてきた幼馴染でもあり、眞子様や佳子様の結婚相手と噂された『南満州鉄道総裁の林家(富士急ハイランドの家系、現堀内家)』を指すものである事がわかる。

このように、不都合が生じると双方が風見鶏の如く姿勢を変えてきているのだ。

よって、岸方に責任を問うている様にも見えるが、あたかも、そういうふうに見える様にするのが目的である事が分かるのである。(自己保身・自己正当化)

岸かたと対立しており、かつ責任を問うているならば、このような事にはならないであろう。(ただでさえも皇族の政治介入となる)

※このように、皇室と清和会の深い互助関係が明確に存在する事が分かる。詳細は後述する項《A・B・C》をお読み頂ければ、お判り頂ける事と思う。

【2-皇族の思想と清和会の思想に一致する心理学的国民統治手法の解説】

要するに、『皇室』+『清和会』が作り出した『熱狂的な支持層(ネット右翼と自称保守)』という構図となり、天皇家を持ち上げると同時に保守派層を取り込み、かつ、いまだに解決していない戦争責任から逃れる為に作った『在日批判』である事が見えてくるのである。

これらは、日韓両国が得意としてきた政治手法である。

すなわち、国民の鬱憤を自国よりも「国際的立場が弱い国」に向ける心理学的国民統治手法なのである。

例えばアジアの歴史において第二次世界大戦を軸に置いて考察すると、(日本=史実に弱い)+(韓国=経済的に弱い)=(マッチポンプ)が成り立つ。韓国を例に採ると、通貨スワップなどを日本に要求しながらにして日本に敵対心を煽る政治などがある。日本もまた然りである。

当項目の初めでも述べたが、このページは表面的な事柄の羅列に過ぎない。

よって、皇室と自民党および国際勝共連合の深い関係が理解できる事柄のページ〝A・B・C〟を以下に提示するので、お読み頂きたい。

お読み頂き、再び当ページを読み返すと、私が記述してきた事柄の本質を理解頂ける事と思う。

※追記(2022.07.24):2022年7月8日、安倍晋三元総理が自作のパイプ銃で狙撃され帰らぬ人となった。

政府は、安倍元総理の国葬を2022年9月27日に決定したのであるが、9月27日は、2021年、結婚会見の為に小室圭さんが一時帰国した日付でもある。

また、2017年9月3日に行われた婚約会見の時に、小室夫妻は互いを『月と太陽』の関係であると形容していた。

当該事件に統一教会が関係していると話題になっているが、海外報道で表記される文鮮明氏のスペルは「Sun Myung Moon」である(文鮮明教祖の妻はマザームーンと呼ばれている)。

はたして、偶然の一致であろうか?

また、国葬の日取りも偶然であろうか?

国葬の儀式は無宗教方式で執り行うというが、無宗教方式ならば「儀式」ではなく「儀礼」ではないのか?

例えば、儀仗兵(近衛兵)が行う儀礼は〝儀式では無く儀礼である〟と私は解釈する。なぜならば、無宗教形式であるのが儀仗兵であり、〝儀式兵〟や〝神官〟ではないからである。

したがって、「無宗教の〝儀式〟」などとは、もはや私には意味不明理解不能である。

新しい日本語を創作してまで〝儀式〟を執り行いたいのはなぜであろうか?

一年は365日あるというのに、安倍元総理の国葬日が〝9月27日〟というのも如何なものだろうか?

繰り返しになるが、昨年(2021年)9月27日は、小室圭さんが結婚会見の為に一時帰国した日である。

二人は、2017年の婚約会見で「月と太陽の関係だ」と世間に公表した程だ。

統一教会の教祖「文鮮明」氏を英語表記すると「Sun Myung Moon」であり、まさに〝月と太陽〟なのだ。

もはや「統一教会の為に行われる〝儀式的国葬〟」になっているのではないか?

一年は365日もあるのにピンポイントで「1/365」を選択するとは意図的であろう。

仮に祝日や年末年始を除いても、国葬ができる日は、200日以上も存在するのだ。

このように「天皇家と統一教会の関係が深い事」は既に判明している。よって、それが為の国葬なのではないか?

尚、韓国では「事故があった場所は既に悪い事が起きているのだから、もう悪い事は起きない」とされ、縁起が良いという風潮があったりする。

余談だが、令和元年への改元は5月1日であった。また、統一教会が韓国で設立された日も5月1日である。尚、令和への改元が5月1日とされたのは、総理官邸側が4月1日の改元に難色を示した為だと一般的に流布されている。

また、秋篠宮文仁と秋篠宮眞子の名に注目すると、『文・眞』である。「文鮮明教祖」の〝文〟と、統一教会の教義である「真の父母様」の〝真=眞〟が使われている。すなわち、文鮮明教祖の名を拝借する父親と、真の父母様にちなんだ真の子である事が見えてくる。

上述してきた事柄を確率論で論じると、偶然の一致で生じる確率は、ほぼ〝0%〟である。

安倍元首相を狙撃した山上容疑者は、飛躍した供述をしているとされ、秋篠宮文仁皇嗣の誕生日前日である2022年11月29日期限で精神鑑定が決定され、現在精神病院に身柄が移送されている。

ちなみに、9月27日は、2014年に御嶽山が突如噴火し、多数の方が亡くなった痛ましい日でもある。犠牲者の中には御嶽山に登山中の統一教会メンバー16人の内、4人が含まれていた。この時、統一教会式の葬儀の様子を民放各社が報道していた事実も存在している。全国報道を受けた統一教会は、信徒である犠牲者を大々的に取り上げ、広報活動をおこなっている事にも注目されたい。

繰り返しになるが、韓国では「事故があった場所は既に悪い事が起きているのだから、もう悪い事は起きない」とされ、縁起が良いという風潮があったりする。

私には偶然に見えないが、皆様はいかが思われるだろうか。

尚、これを記述している私は、2014年の安倍政権下で発生し、菅義偉内閣官房長官が徹底捜査を警察に指示した「札幌連続ガスボンベ爆破事件」に直接巻き込まれた過去がある

【統一教会と皇族に関する宮内庁の回答(2022.08.26追記)】

2022年8月18日・8月22日・8月26日に宮内庁へ電話し、「1965年2月に撮影された統一教会の文鮮明教祖と各皇族の集合写真」および「1971年・1972年の統一教会リトルエンジェルス芸術団の公演を観賞した事実」に関する事実確認および、公的参加であるか否かの確認をさせて頂いた。

8月18日に質問の電話をさせて頂いたところ、「調査をしてから回答させて頂くので数日お時間を頂きたい」との事で、後日8月22日の電話確認を行ったところ、「宮内庁側が調査した結果、1971年・1972年に統一教会リトルエンジェルス芸術団を観覧した事に関する記録が残っており、記録によると各皇族は〝公的なお出まし〟として観賞された』との回答があった。この際、1965年に撮影された皇族と教組の記念写真について質問をしたところ、「調査をしますので2~3日してから連絡を頂きたい」との回答を頂いた。

後日、8月26日に改めて宮内庁に皇族と教祖の記念写真に関する電話確認をおこなったところ、「1965年に撮影された、〝統一教会の文鮮明教祖と各皇族の集合写真〟」に関しては『なにぶん古い事なので記録が無いのかもしれないが、宮内庁として〝確認できる記録は見当たらなかった事から、私的か公的か不明である〟』との回答があった。

よって、私が上記事柄を時系列順を整理し分析すると『1965年の記録が無い』という事は、私的に統一教会の文鮮明教祖と集まっていた事が浮かび上がってくる。

まず第一に、三笠宮崇仁親王だけではなく、他の皇族も参加されている事から、教祖との集まりが公的なお出ましである場合、いずれかの皇族に関する記録にその事が記述されているはずであるからだ。

すなわち、『1965年に複数の皇族が統一教会の文鮮明教祖と集合写真を撮影した事実』は、『公的なお出ましではなく、私的な集まりであるがゆえに宮内庁という公的機関の記録として残っていない』という事実が明確となってくるのである。

この事柄は、勝共連合が設立された1968年の前年である1967年、富士五湖の本栖湖畔のモーターボート競走会連合会の施設にて、文鮮明教祖も参加し行われた「第一回アジア反共連盟結成準備会議」よりも以前である1965年に、文鮮明教祖と皇族は私的に接点があった事を裏付けるものである。

上記を整理すると明確となる事柄は、

以上の事柄が明確となってくるのである。

よって、1965年に教祖と私的に集合写真を撮影している皇族も芸術団の観賞に行っているのであるから、「1971年・1972年に統一教会リトルエンジェルス芸術団を観賞したが、皇族は統一教会だと分からなかった」と述べたところで通用しない状況であるのだ。

この事柄の問題点は、私的に接点がある統一教会の芸術団を、日本国民が収めた税金から捻出される国家予算が投入される〝公的なお出まし〟へと鞍替えして観賞している事に問題が生ずる事はいう迄もない。すなわち、日本政府および統一教会と皇族にとって明確なるターニングポイントとなっているのである。

尚、1972年には冬季札幌オリンピックも開催されている。当該大会では、三笠宮寛仁親王が札幌に移住してまで組織員会で活動していた経緯がある。

さらに、1972年は、笹川良一が江ノ島を有する北海道島牧村へ行き、宮内温泉で湯治中の〝象の花子〟を〝偶然見て〟象の花子ブームを全国的に作り出している。この時、パラグアイ大使一家も巻き込んでいる。

この他にも現在調査中の事柄が複数あるので、いずれ調査分析結果を追記してゆく。

※突然の連絡にもかかわらず、丁寧に記録の調査をして下さった宮内庁担当者に、この場にて心より感謝致します。

※2022年9月8日、《【最新記事】「統一教会の金山政英と笹川良一」を繋いだ美智子様》を公開しました。

リトルエンジェルスと美智子様&上皇陛下

リトルエンジェルスと歓談する美智子様と上皇陛下

1971年1月8日、皇太子明仁殿下と皇太子妃美智子さま(平成の天皇皇后)及び秩父宮妃勢津子殿下並びに常陸宮妃華子殿下がリトルエンジェルス芸術団の公演を観に行き、公演後に歓談されている時に撮影された写真である。この時、美智子さまは大変楽しまれ熱心に公演をご覧になられていた。この時の公演には、岸信介 氏及び笹川良一 氏並びに川端康成等も出席している。翌年の1972年12月26日(第三回日本公演 東京日劇会場)にも美智子様及び秩父宮妃勢津子殿下並びに常陸宮殿下夫妻が大変楽しく熱心に観賞されている。この時以降、芸術団の素晴らしさが認知され、日本での公演が増えていった。尚、リトルエンジェルス芸術団は、1962年に統一教会の文鮮明教祖によって創られた7歳から15歳までの少女で構成される芸術団である。余談であるが、美智子様の恩師である聖心女子大名誉教授の助野健太郎氏は、統一教会の信徒(食口)として有名な人物である。


リトルエンジェルスと中曽根康弘元首相

首相官邸にリトルエンジェルスを呼び記念撮影をする中曽根康弘首相の写真

1985年5月、中曽根康弘総理がリトルエンジェルス芸術団を首相官邸に招待したときに撮影された写真である。首相官邸に招待するほどなのであるから、その素晴らしさを私が説明するまでもないであろう。尚、リトルエンジェルス芸術団は、統一教会の文鮮明教祖によって創られた7歳から15歳までの少女で構成される芸術団である。真偽の程は確認できていないが、佐藤栄作元総理も会ったとの情報も存在する。

リトルエンジェルスと日韓W杯開催

統一教会のリトルエンジェルスがオープニングセレモニーに出てきたFIFA日韓ワールドカップ(日韓W杯)

2002年5月、FIFAワールドカップ(サッカー)の開会セレモニーで公演するリトルエンジェルス芸術団。アジア初のW杯開催であり、日韓共同開催となった。当該大会は、アジアで初めて開催されるFIFAワールドカップである事から大々的に日本政府が指揮を執った大会である。当該大会は、日本政府の国家的事業であり、「政治的安定」及び「平和の祭典」としてのメッセージを、より一層強める事をコンセプトとして開催された。当該W杯に関係した皇族はサッカーの宮様こと高円宮憲仁親王殿下である。当該大会で高円宮夫妻は韓国へ公式訪問し開会式に出席した。皇族の韓国訪問は第二次世界大戦後初であった。尚、リトルエンジェルス芸術団は、文鮮明教祖によって創られた7歳から15歳までの少女で構成される芸術団である。余談であるが、当該W杯が開催された後の11月21日、高円宮憲仁親王殿下は心臓発作で急逝し、秋篠宮文仁親王殿下の誕生日の前日である11月29日に火葬され埋葬された。

リトルエンジェルスと美智子様&上皇陛下

リトルエンジェルスの小道具を手に取り興味深そうに拝見する皇太子明仁殿下と美智子さま1

1971年1月8日、リトルエンジェルス芸術団の小道具を手に取り楽しそうにされる美智子様と皇太子明仁殿下。仮に公務であった場合、国民の税金は統一教会との関係維持の為に使われた事になる。

リトルエンジェルスと握手する上皇陛下

リトルエンジェルスと握手される皇太子明仁殿下と道子様1

1971年1月8日、リトルエンジェルス芸術団員を労われ握手される上皇陛下。

リトルエンジェルスと談笑する美智子様

リトルエンジェルスと握手される皇太子明仁殿下と道子様2

1971年1月8日、リトルエンジェルス芸術団員を労われ談笑される美智子さま。

【3-皇室に対する疑念を述べる者の信用を落とす為に使用されているネット工作の解説(心理学的国民統治手法の応用)】

一見すると、秋篠宮や皇太子などの皇族を罵倒しているかのような書き込みがネット上に溢れているが、書き込み内容を分析してゆくと、罵倒しているようで持ち上げているという視覚的な心理誘導が行われている事に気が付く。(例:和装であんなにスタスタ歩けるなんて障がい者としか言いようがない。等々)

その他、差別用語を多用し、さらには障がい者を引き合いに出し、「悠仁は聾唖者だ」であったり、差別的表現となる「かたわ」であったりと、障がい者を蔑む書き込みを行いつつ、皇族を罵倒している現状がある。(愛子が成績優秀?知的障がい者には無理だから皇族特権で賄賂でも渡しているんだろ。等々)

これによって、皇族に興味を抱きネットで検索した方が書き込み内容等を見た際に抱く印象は、秋篠宮や皇太子をはじめ、皇族に対し何かしらの苦言を呈する発言を行っている人物は「差別主義者」であり、極めて非常識な人物が異論を唱えているというふうに印象を付ける事となるのだ。

例えば、美智子さまが被災地などに行かれるとき、トレードマークとなった帽子を毎回コロコロと変えたりしている。

これを客観的に見た際に思い当たるのはファッションショーであるが、被災地や障がい者施設はファッションショーの場ではない。

よって、苦言を呈する世論が必ず出てくるのであるが、これを封殺する為のネット工作や報道工作が生じている。

具体的には『〝帽子を皿と形容した〟人種や障がい者差別的な書き込み』および『〝一流のデザイナーが〟帽子に込められた花言葉が素晴らしいと言っている』などである。

ファッションショーに違和感を感じた人がネット上で共感者を探すと必ず目に付くのが『〝帽子を皿と形容した〟差別的な書き込み』や『ファッション専門家の誉め言葉』である事は言うまでもない。

すると、違和感を感じた普通の人はSNS等で苦言を発信しようと思えなくなるのである。

なぜならば、『皿と言っている差別主義者と一緒だと思われたくない』+『専門家でも無いのに何か言っているセンスのない人と思われたくない』からである。

これらの事柄に至っては、あえて異常な書き込みを行い、まともな人物の見解を損ね、皇室の価値を保とうとする〝組織的な書き込み〟である事が鮮明となっている。

なぜ、これらの組織的な工作活動に宮内庁はじめ、皇族が関わっているのかといえば、2006年頃から始まった「ネット右翼ブーム」に乗じた自身の付加価値を創造する為の工作的書き込みが24時間体制で一定量見受けられる事からである。さらに、一般では知り得る事が不可能である〝週刊誌等の記事が出てくる直前〟および〝皇族関連の不祥事が明るみになる直前〟に、このような工作活動が活発化する事が非常に多いという分析結果に至るからである。(心理学的国民統治手法と類似形態)

先にも述べたが、皇后陛下である美智子様が行った、在日批判から救った清和会とのマッチポンプによる〝ヒーロー演出〟や、後に詳しく書くが、雅子様は『ハロウィンパーティーには出るが、公務には出られない』というネット上の書き込みや、週刊誌等の記事が出てきた際に多く見られる事でもあるからだ。

また、これらの事柄が、自己顕示欲を内包する事に関しても説明が付く。

事実上、ネット上においての書き込みと、皇族自身が行ってきた一連の動きは連動していることから、宮内庁や皇族自身が裏側から手を回しているか、『言わなくても解るでしょう?』といった、暗黙の連携及び、『〝これだけあちこちを動かす事ができるんだぞ〟という〝自己顕示〟』がある事も、明確となる事柄であるからだ。

特に、秋篠宮の眞子様はじめ、女性皇族の男性関係の話が出始めた際には顕著なものがある。

その上で、秋篠宮の眞子さまが2012年の海外留学時に、ハロウィンパーティーに参加している写真を、〝敢えて〟ネット上や週刊誌を使い流出させる等の動きが出ていたのだ。 

これらの動きによって皇族の相互作用、すなわち、互助機能を説明する事も可能となる。

例えば、ハロウィンパーティーは経済効果的側面から見た際にも良い行事であると私は思うが、「作られたネット右翼による在日批判や排外主義を利用し、ハロウィンパーティーに街宣を掛けるなどの動きがある状況下において、〝雅子様がハロウィンパーティーには出ている〟」など、組織的なネット上での非難的書き込みや報道に繋がっていた状況が存在するからだ。

現在、国民に広く受け入れられている行事を非難する事および、「ネット右翼のアイドルの眞子様だってハロウィンで楽しんでいるのだから」とアピールする事で、『ハロウィンパーティーには出るが、公務には出られない』という一般的な苦言や批判を互助作用にて封じようと試みている事が明確となるのである。

すなわち、『在日批判から救った清和会とのマッチポンプによるヒーロー演出』と同様の手法による自己の付加価値を創造する試みを行っている事が、時系列順に見てゆくと鮮明化してくるのだ。

このような事が事実ある事から、「暗黙の連携」ないし「裏側から動員を掛ける」といった事を行っている。という事が判るのである。

子供達も大人達も楽しみにしているイベント事を利用したり、人種憎悪表現を敢えて行い、自身の付加価値を創造する事自体、あまりにも身勝手かつ筋が通らない事であると私は思う。

そのうえで、私のように、ネット上において苦言や異論を唱えている人物を、非常識な人物や異常者であるかのようにする為の、「印象操作」や「心理誘導」を行なうという事柄事態が異常な事であり、これら事柄を平然と行う公的立場のモラル自体が、昨今の「モラルハザード」という社会問題に直結するという事を、私は述べているのである。

『〝排外主義〟に起因する国連からの指摘には〝ヒーロー演出で自己正当化〟を行う』にもかかわらず、『〝福祉活動に熱心なはずの皇室〟が〝障がい者差別〟による〝皇室の保身政策〟には〝無言を貫く〟』したがって、これら分別の線引き自体が、ここまでの1~3において、私が解説してきた現代皇室の実態である。

皆様は、このような現状をいかが思われるだろうか?

※重要事項:近衛師団と第二次世界大戦の関連性を利用し現在も行われている裏工作の実態

※関連項目:秋篠宮家の宮務官逮捕と障がい者関連手話公務の矛盾

リトルエンジェルスと握手する岸信介氏

リトルエンジェルスと握手する岸信介

1971年1月8日、リトルエンジェルス芸術団員と嬉しそうに握手する岸信介氏。背後に日本財団創設者であり、のちの勝共連合名誉会長である笹川良一氏。

リトルエンジェルスのお出迎え

リトルエンジェルスと美智子様(両陛下)と岸信介1

1971年1月8日、リトルエンジェルス芸術団の出迎えを受ける皇太子明仁殿下と美智子さま及び岸信介氏と笹川良一氏。

リトルエンジェルスと川端康成氏

リトルエンジェルス芸術団と川端康成

1971年1月8日、リトルエンジェルス芸術団の公演後にステージ上で花束を渡しお祝いする川端康成氏。尚、川端は1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞した人物である。当該芸術団に花束を渡した翌年である1972年4月16日、川端康成氏はガス自殺した。遺書は無く動機は不明である。

久保木修己勝共連合会長と御皇族

久保木修己にお辞儀する秩父宮妃勢津子殿下と常陸宮妃華子殿下

1971年1月8日、統一教会の勝共連合会長であり、信徒でもある久保木修己氏にお辞儀される秩父宮妃勢津子殿下及び常陸宮妃華子殿下と座席に移動中の皇太子明仁殿下ご夫妻。

リトルエンジェルス公演観賞中の御皇族

リトルエンジェルスを讃える御皇族1

1971年1月8日、公演観賞中、盛んに拍手を送られる御皇族。左から久保木修己氏、皇太子明仁殿下、美智子さま、秩父宮妃勢津子殿下。

声援に応える美智子様&上皇陛下

リトルエンジェルス公演終了後の声援に応える両殿下

1971年1月8日、リトルエンジェルス芸術団の公演終了後の声援に応える皇太子明仁殿下と美智子さま。お隣は秩父宮妃勢津子殿下。

秩父宮妃勢津子殿下と芸術団員

リトルエンジェルス芸術団の公演後、労われ握手をされる秩父宮妃勢津子殿下。

1971年1月8日、リトルエンジェルス芸術団の公演後、労われ握手をされる秩父宮妃勢津子殿下。

久保木修己氏に先導される両殿下

久保木修己と美智子様(両陛下)1

1971年1月8日、久保木修己氏に先導され余韻が残る劇場を後にする皇太子殿下ご夫妻。

花束を渡すプロ野球選手(張本勲氏)

リトルエンジェルスに花束を渡す佐藤栄作(のちの総理)

1971年1月8日、リトルエンジェルス芸術団の公演で、ステージに上がりお祝いの花束を渡す張本勲選手。

岸信介氏と文鮮明教祖夫妻

岸信介と文鮮明教祖夫妻

左から2番目が統一教会教祖の文鮮明氏。同3番目が岸信介氏。同4番目が韓鶴子氏。同6番目が統一教会初代会長で勝共連合会長の久保木修己氏。尚、久保木修己氏は、統一教会の信徒である。(原画はカラー写真だが見やすくする為に白黒へ調整)

文鮮明教祖家族と皇族の面々

文鮮明教祖家族と皇族の面々

向かって左下1番目が統一教会教祖の文鮮明氏であり、同2番目が三笠宮崇仁親王、同3番目が崔元福 氏である。向かって左上1番目が常陸宮妃華子殿下、同2番目が秩父宮妃勢津子殿下、同3番目が三笠宮妃百合子殿下、同4番目が高松宮妃喜久子殿下、同5番目が教祖の妻である韓鶴子氏である。1965年撮影。(2022.08.29、人定を修正)

三笠宮含む皇族の面々

三笠宮含む皇族の面々

向かって左上1番目が三笠宮崇仁親王。向かって左上2番目が常陸宮正仁親王。向かって左下1番目が秩父宮妃勢津子殿下。同2番目が高松宮妃喜久子殿下。同3番目が三笠宮妃百合子殿下。同4番目が常陸宮妃華子殿下。並び順に決まりのある事が分かる。(原画はカラー写真)

東条英機内閣

東条内閣と岸信介

※右上上段、「岸信介元首相」

東条英機内閣とナチスドイツ

岸信介時代と日本(ナチスと日本)

旧ドイツと日本の友好関係

記述している私の事象年表】

満州鉄道と満州事変

満州鉄道

満州事変と満州鉄道日本軍

満州鉄道日本軍装甲車両

平成元年改訂版日本三代実(イメージ画像)

※平成元年改定日本三代実録1巻(イメージ画像)