相次ぐ女性皇族の結婚報道と平成の終わり。その最中、未婚の女性皇族として話題に上る三笠宮家の彬子さまと瑶子さま。以前、噂の御相手との結婚が破談となった彬子さまを塞ぐ大きな壁。寬仁親王妃信子さまとの長きに亘る母と娘の対立騒動の三角関係を徹底分析!

三笠宮彬子さまと瑤子さまの結婚に関連する障壁と言動行動を分析し浮上する明確なる矛盾点と三角関係の提示

【概要:矛盾点及び三角関係の明示に使用する簡単な算数を応用した独自理論の解説】

本項目では、三笠宮彬子女王(彬子さま)に焦点を絞り、今迄に彬子女王が述べてきた事柄に関する矛盾点を記述してゆく。

尚、本項目に於いて記述してゆく内容は、既に週刊誌等で報道されている事柄を時系列順に並べ、それら報道内容が、時間軸上に於いて矛盾している点を洗い出してゆく項目とする。

即ち、時間の経過という不変的な概念(連続する1~10の数字)を基礎とした上で、過去(1)から現在(10)までに生じている一連の事象を対比し、時間軸上でズレが生じている点を明確にする。

要するに、時間というものは、1~10まで規則正しく並んでいるものであり、1と3の間に4及び5など、3以上の数は出現しない。(1と2の間に3も出現しない)

例え、素数であっても、2・3・5・7・11迄の数列の間に、突然13は出現しない。

したがって、『個々の数列が持つ規則性は、時間軸上に於いて絶対的な規則性を有しており、時間軸上に於いて、時間の経過という不変的な概念が不規則性を含有する事は在り得ない』という事である。

即ち、時間は、巻き戻す事が不可能な存在であるが故に、数列の中に不規則な数字が出現した点が矛盾点となる。 仮に、1と3の間に4及び5など、2以外の数が数列の中に出現する場合、その前後には0が入る事となる。

何故ならば、「時間軸上に於いて、時間の経過という不変的な概念から逸れ、新たなる規則性を有する場合、時間軸上に存在する別次元の時間の経過との間で、何かしらの要因による交点が生じなければ、規則性が乱される事は有り得ない」からである。

要するに、時間軸(A)が内包している、時間の経過(a)と時間の経過(b)に交点が生じる際には、

「何かしらの必然的要因が無ければ交点は生じ得ない」という事である。

即ち、外的要因ないし、自己要因が無ければ交点が生じる事は無い上に、その交点が生じた地点に於いては、(a)と(b)が融合した(ab)が存在する事となり、更には(a)と(b)及び(ab)が相殺されて生じる0点が存在する事となる。

したがって、時間軸上に存在している(a)と(b)の数列上の地点が、仮に2であった際に交点が生じた場合、0点の付近に於いて、融合点(a2+b2=ab(4))が生じる事となり、結果として、1と3の間に、矛盾点である4が出現する事となる。(1と2の間に3と解釈しても良い)

a2+b2=c2との解を出したくなると思うが、当該数式は時間軸上の経過を導き出す為の数式である。よって、a2+b2=ab(4)となる。

よって、不規則性を含有している地点を割り出す事により、矛盾点を抽出し、外的要因ないし、自己要因が、如何ような事象となり発露しているのかを提示する事ができる。

尚、0点が含有している要素を∞(π)(0=0∞(π))とする事によって、時間軸上の数列に存在する、如何なる不規則な点も説明する事ができるようになる。

上述した独自理論を用いて、今迄に彬子女王が述べてきた事柄と、報道されて来た矛盾点を洗い出し、報道されている内容と、現実の相違点を明確化し、本項目に於いて以下に提示してゆく。


〔注意事項〕

本項目を御読み頂く場合、三笠宮彬子女王(彬子さま)自身が矛盾した事を述べているのか、

週刊誌等の報道が矛盾した事を書き連ねているのかについては、私は断言しない。

飽く迄も、私は、独自理論によって発露した、明確なる矛盾点を提示しているだけである事を先に述べさせて頂く。

したがって、私の独自理論を理解して頂けた方に限り読み進めて頂きたく思う。

又、本項目を御覧下さっている皆様に、『週刊誌等の矛盾』か『三笠宮彬子女王の矛盾』か『信子様の矛盾』であるか判断を委ねる事とする。 尚、私は週刊誌等の報道機関ではなく、《告発者》である事を改めて述べさせて頂く。

【三笠宮彬子女王(彬子さま)が認めた他の宮家との疎遠な状況】

2015年、決定的な報道がなされた。

それは、三笠宮家の姉妹、彬子女王(彬子さま)と瑶子女王(瑶子さま)が、母である三笠宮寛仁親王妃信子さまと徹底対立している事柄に関してである。

当該報道に於いて、彬子さまは、異例の『手記を週刊誌に寄稿』しているとの事である。

その手記の内容には、「三笠宮寛仁親王家は長らく〝一族〟の中で孤立し疎遠となっていた旨」が記述されているとの事である。

その理由が、「長年に亘り寛仁親王夫妻間での確執が生じている旨」、

及び、「母である信子さまは〝2012年の10年程前から〟病気療養という理由にて別居している旨」、

又、「寛仁親王が薨去した2012年以降も三笠宮家内で確執が続いている旨」である。

一方、信子さま側が、夫婦間に於いて確執が生じている理由として挙げているのは、

「夫である寛仁親王はアルコール依存症でもありDVによって夫婦間での確執及び別居が生じている旨」である。

その一方で、2014年、信子さまの娘である三笠宮彬子女王(彬子さま)側は、

「他の皇族から嫌がらせを受けていると〝2014年以前〟に母である信子さまが言い出したが為に、〝一族から距離を置かれた〟旨」及び、「DVは無かった旨」を挙げている。

更に、彬子さま側が出している報道に於いては、

「母である信子さまが娘である彬子さまと瑶子さまに対し精神的虐待を行っていた事を、彬子さまと瑶子さまが成人した〝2003年〟以降、寛仁親王に打ち明けた事により夫婦間での確執が生じた旨」を挙げている。

その上で、上記の報道内容に関し、一貫性がある事柄の一つは、

『〝2007年〟三笠宮寛仁親王は自らアルコール依存症を公表し入院による治療を始める』との報道がなされた事であり、実際に、依存症治療の為、2007年に入院している点である。

即ち、三笠宮寛仁親王妃信子さまが別居を始めたのが〝2004年〟との事であり、その数年後である〝2007年〟に、三笠宮寛仁親王は、自らアルコール依存症を公表し、入院による治療を始めた事は整合性が取れる事となる。

又、三笠宮寛仁親王夫妻の間の確執によって〝家族内での溝が埋まらない〟との表現による報道がなされたのは、〝2012年〟であり、「家族とは誰の事を指すのか迄は明確に報道されていない」点から、2012年以前の時点に於いて、三笠宮家の姉妹、彬子女王(彬子さま)と瑶子女王(瑶子さま)が、母である信子さまと対立していたか否かは事実上不明となる。

しかしながら、本項目の初めに於いて記述した、「彬子さまは異例の『手記を週刊誌に寄稿』している事」の中で理由として述べている、『長年に亘り寛仁親王夫妻間での確執が生じている旨』に関しては、「信子さまが別居を始めた数年後である〝2007年〟に、三笠宮寛仁親王は自らアルコール依存症を公表し、入院による治療を始めた事」により整合性が取れる事となる。

‐‐‐《時系列表》‐‐‐

    1. ※A+Z「〝2004年〟(信子さまが別居を始めた)」

    2. ※A+Z「〝2007年〟(寛仁親王は自らアルコール依存症を公表し入院による治療を始めた)」

    3. ※A+Z「〝2012年〟(〝家族間の溝が埋まらない〟との表現による報道がなされた)」

    4. ※A「〝2014年以前〟(信子さまが他の皇族から嫌がらせを受けていると言い出した為〝一族から距離を置かれた〟)」

    5. ※A「〝2015年〟(彬子さまと瑶子さまが母である信子さまと対立している旨の『手記を週刊誌に寄稿』した)」

    6. ※A「〝2015年〟(寄稿した手記の中に於いて三笠宮寛仁親王家は長らく〝一族の中で孤立し疎遠となっていた〟旨)」

即ち、時間軸上に存在する、時間の経過という不変的な概念を基礎とした上で時系列順に並べ、記述する時系列に、彬子さま側を[※A]、信子さま側を[※Z]と仮定し、付記すると上記の時系列となる。

これらの事柄を、【概要:矛盾点明示に使用する独自理論の解説】にて、私が述べた独自理論を使用し分析すると以下の点が浮上する。

【1-彬子さまが自ら週刊誌に手記を寄稿した内容と時間軸上の歪み】

寛仁親王家が〝一族の中で孤立し『長い間』疎遠となっていた〟との事を、彬子さまは、『自ら週刊誌に手記を寄稿し』、以下のように述べている。

    1. 「長年に亘り寛仁親王夫妻間での確執が生じている旨」

    2. 「母である信子さまは〝2012年の10年程前から〟病気療養という理由にて別居している旨」

尚、『長い間』とは、2015年を最新時間として捉えた際に、2014年や2007年より以前の事であると判別する事ができる。

何故ならば、「寛仁親王夫妻間での確執が生じている」が故に、2004年に信子さまは別居という選択をされた訳であり、彬子さまは、2015年に『自ら週刊誌に手記を寄稿し』、寛仁親王夫妻間での確執が生みだした『一族の中での孤立』である事を明示された上で、『一族の中での孤立』を公表されているからである。

上記の事柄に関し、これのみを時間軸上に当てはめ、【概要:矛盾点明示に使用する独自理論の解説】にて分析した際には、取り留めて考察する程の矛盾点は浮上しない。

しかしながら、三笠宮家内のみに限らず、他の宮家を分析に加えると、数列の中に不規則な数字が出現する事となる。

即ち、時間軸上に於いて、時間の経過という不変的な概念が不規則性を含有する事は在り得ないにも拘らず、時系列の中に矛盾点が出現するという事を明確に提示する事ができる点が浮上するのである。

それでは、以下の【2】にて《矛盾点=不規則な点(時間軸上の歪み)》を記述してゆく。

【2-秋篠宮家と三笠宮家の親密さを明確にする眞子様と競技スキー部の関係性】

秋篠宮家の長女であり、小室圭さんとの婚約会見も終え、結婚が決まった眞子内親王(眞子さま)に関する事柄が、先述した、「明確なる矛盾点を明示できる事柄」となる。

眞子さまがスキーを本格的に始めたのは、山守凌平さんや小室圭さんが在籍していた「国際基督教大学(ICU)のスキー部」では無い。

2012年に寛仁親王が薨去された際、これを裏付ける事ができる報道が存在する。

『眞子さまがスキーを本格的に始めたのは高校生であった〝2009年〟、寛仁親王の勧めである』との報道があり、

更に『寛仁親王は眞子様にとってスキーの父でもあり感謝している』との報道が出ていたのである。

即ち、彬子さまが、2015年に『自ら週刊誌に手記を寄稿し』、

寛仁親王夫妻間での確執(2004年の時点で確定)が、

『一族の中での孤立(2007年より以前から)』を生み出したという事を明示された上で、

『一族の中での孤立』を公表されているのであるから、

2004年(1)と2007年以前(2)の間に、秋篠宮家との間に於いて実に友好的な親交(2009年〈3〉-矛盾点)が浮上する事となるのである。

したがって、秋篠宮家を分析に加えると【概要:矛盾点明示に使用する独自理論の解説】にて述べた、1と2の間に3が入る事となり、数列の中に不規則な数字が出現する事となる。

即ち、時間軸上に於いて、時間の経過という不変的な概念の内部に、

完全なる不規則性を含有する『(1)(3)(2)』が出現する事となるのである。

したがって、彬子さまが、2015年に『自ら週刊誌に手記を寄稿し』発表された、

『寛仁親王家は一族(皇室)の中で孤立している』に関し、極めて大きな矛盾点の出現が生じるのだ。

この矛盾点を合理化する為には、

  1. 眞子さまが本格的にスキーを始めたのは2004年より以前且つ、寛仁親王が競技スキーを始めるよう勧めた訳ではない事。

上記1を行う事ができた場合、私が上述した矛盾点の一部分は解消される事となる。

全日本スキー連盟(明治天皇崩御の日7月30日に内閣府より公益財団法人の認定がなされる)

尚、上記画像は、「宮様スキー大会」を運営・協賛している「札幌スキー連盟」の上部団体である、『全日本スキー連盟』の概要を画像キャプチャしたものである。

御覧頂くと分かるとおり、『2013年7月30日に〝内閣府〟から公益財団法人として認可を受けている。(北海道スキー連盟も同日認可)』

ちなみに、《明治天皇が崩御した日もまた、〝7月30日〟》である。

即ち、私が

上記2項目にて述べさせて頂いている、〝北海道〟及び、〝スキー〟というスポーツを利用した、〝歴史の捏造〟及び〝隠蔽工作〟に繋がってくる可能性が、極めて高い事柄の一つとして挙げる事ができるものである。

これらの事柄の相関性及び、確率論から導き出せば、7月30日に内閣府から認可されたのは必然(恣意的)の事柄となる。

※尚、私は、スキー連盟に直接電話を入れ、7月30日に内閣府より認定を受けたのか否かの確認を行った所、間違いなく〝7月30日に認定を受けた〟との事であり、公益財団法人として〝実務を開始したのが8月1日〟との事である。(証明可能)

さて、226事件の首謀者である可能性が極めて高い〝秩父宮〟が始めた『宮様スキー大会』に関連・関係している皇族は何人居るだろうか?(秋篠宮杯だけが無いが競技スキーを薦めたのは?)

【3-彬子さまが倒れられた報道と映像の抹消に関する動き|倒れ方の疑問点】

本項目では、三笠宮彬子女王が今迄に行ってきた行動を分析し記述してゆく。

まず分析してゆくのが、2013年12月6日、天皇皇后両陛下がインドから帰国した際に、皇族方が空港にて御出迎えを行った時の事である。

この時、彬子さまは、皇族が集まり各報道機関がカメラを回している時に突如として倒れた。

この際の倒れ方であるが、「バタリと倒れる」のではなく、その場に「クタリとへたり込むように倒れた」状態である。

地面にグッタリと倒れたままの彬子さまを、警衛の警察官が抱きかかえ、連れて行った状況が各報道により映像として流されていた。

その際、周りが彬子さまを取り囲み、しきりに声を掛けていたが一切の反応は無く、

「完全に意識が無い状態」であった事が、報道されていた映像から判る。

尚、警衛に抱えられた彬子さまは、全身の力が抜け切り、腕や足、頭部に至るまで完全に脱力している状態であった。 何故、倒れたのかに関しては、〝事後報道〟で『貧血による』との報道がなされていた。

しかしながら、この映像を分析した際に数々の不自然な点が浮かび上がる事となる。

まずは、「クタッと倒れた(フワリと倒れた)」という事である。

先述したが、倒れた直後、周囲がしきりに声を掛けても「一切反応が無い状態」であった。

即ち、『完全に意識が無い状態』である。

人間は、意識が途絶えて倒れる場合、重力の法則に一切抗う事無く倒れる事となる。

即ち、意識が無い状態である場合、一切の受身すら取る事ができない為、

「クタリと倒れる」のではなく、「バタリと倒れる」事となるのである。

当然の事であるが、バタリと倒れた際には、頭部や顔面が地面に叩き付けられ、擦過傷が安易に生じる状態となる。

何故ならば、人間の身体構造上、頭部を支えているのは首であるが故に、完全なる脱力状態に於いて、頭部が地面にぶつからないよう倒れ込む事は、理論上不可能であるからだ。

即ち、倒れた直後から抱えられて運ばれている間に至るまで、「完全なる脱力状態」であり、周囲の「呼び掛けに一切の反応を示す事すらできない状態」であるのだから、「擦過傷が生じない様にクッタリと倒れる」事に疑問が生じる事となる。

尚、意識がある状態に於いて人間が倒れる際は、「重力に抗いながら倒れる」事となる。

例えるならば、「ボクシングのダウン」を思い出して頂きたい。

綺麗に相手選手の打撃が決まった際に、打撃を受けた選手は、

意識が朦朧としながらも、意識がまだあるが故に、フラフラとした後に倒れる事となる。

又、綺麗に打撃が決まり、一瞬で意識を喪失した際には、フラフラとする事さえ無く、

重力の法則に従い、糸を切られた操り人形のように、その場に「バタリと倒れ込む」事となるのである。

イメージが浮かびやすいよう、ボクシングというスポーツを例にしたが、

スポーツのみに限った事では無く、何かしらの疾患による意識レベルの低下に於いても同様の事が言える。

例えば、脳梗塞による意識レベルの低下も同様の状態となる事があると言える。

脳梗塞により意識レベルが低下した際に、脳の運動野に繋がる血管が詰まり、自立している事が不能な状態となる事が多々あるとの事が、医学論文などで多数報告されているからである。

この際、脳梗塞の影響により立っている事が突然困難となりながらも意識がある当事者は、一瞬、自身の身体に何が起きているのかを理解できず、「倒れる事に抗う状態」となる。

手摺が近くにあれば、手摺に掴まり倒れる事に抗う状態である。(無意識に行う条件反射)

更に、倒れる事に抗いながらも、倒れた当事者に意識がある場合に於いて、異変に気が付いた周囲が声を掛けた場合、当事者は「大丈夫大丈夫、何か目眩がして具合が悪くて」と言いながら、「身体を動かす」ないし「立ち上がろうとする」事が多々ある。

この様な状態の時、周囲が動かず安静にしている事を促していても、当事者は朦朧とした状態で上述した行動を起こそうとする。

ある程度、症状が緩和された状態となり、意識レベルが元に戻り始めると当事者は状況を把握し、周囲の助言に従うようになる。

上述した事が、人間が倒れるという事象に関して挙げる事ができる具体例となる。

この様な一連の状況に関しては、『人間の本能からくる自己防衛反応』であると私は思う。

また、気絶した状態に於いては、全身の筋力が脱力状態であるのだから、通常は顔の筋肉に於いても、当然の事ながら脱力状態となる。 しかし、彬子様は倒れた直後から「笑顔の状態を維持」されていた。

通常、気絶した場合に於いて痙攣を起こしていなければ、重力の法則に従い、重力が生じる方向に口が開き、舌もダラリとした状態となる。

では、彬子様はどのような状態であったのかというと、「痙攣は起こしていない」のである。 したがって、手足などが完全なる脱力状態であったのだ。 よって、「口を閉じた状態かつ笑顔の状態を維持」している事にも注目し、生じている疑問点を分析する必要が生じる。

例えば、就寝中の人の顔を思い起こして頂きたい。 気絶状態とは異なる就寝中ではあるが、人の顔は笑顔の状態であるだろうか? 答えとしては、笑顔ではない。(夢を見ている状態であれば笑顔の可能性はあるが)

その上で、今一度、倒れた状態を考察すると、気絶し完全なる脱力状態である筈の彬子様は、「呼びかけにすら応答が無い完全な気絶状態」に於いて、「笑顔のまま」+「口が閉じている」=「顔の筋肉だけが脱力状態にはならなかった」という不自然な状態である事が判明するのである。

即ち、2013年12月6日、天皇皇后両陛下がインドから帰国された際に、大勢の方々が居るその場に於いて、彬子さまは倒れた訳であるが、放送されていた映像を分析した際に浮かび上がるのは、〝極めて不自然な倒れ方〟であるという事である。

尚、この際に、次女である瑤子さまも腹痛を訴えて病院へ運ばれ入院されたとの事である。(胃潰瘍との事)

この時、病院へ付き添いで急行されたのが『高円宮久子殿下(久子さま)』である事にも留意したい。

姉妹愛であろうか、はたまた単純に肉体的な要因であろうか、それとも、他の意味合いであろうか。

※因みに、2018年11月現在、当時放送されていた『倒れる瞬間からの映像』はYoutube等の動画サイトから完全に消されている。

『倒れた瞬間からの映像が削除され始めて久しい』が、『倒れた直後からの映像は削除されていない』状況である。

したがって、現在、安易に閲覧できるのは、『倒れた直後からの映像のみ』となっている。

即ち、『倒れた瞬間からの映像』に関し、WEB上から抹消する動きが出ていた事となる。

その様な動きを出さなければならないという事は、〝それ相応の理由があるから〟に他ならないであろう。

以上、彬子さまが国民の目の前でとられている具体的な行動に関する分析である。


【4-寛仁親王薨去にさいして彬子さまがとられた親族に対する心理学的アプローチ】

本項目では、2012年6月、三笠宮家の寛仁親王が薨去された後に、彬子さまがとられている言動について。

【1】で解説したように、「寛仁親王家は長らく一族の中で孤立していた」との事を前提とし、分析を進めたく思う。

まずは、寛仁親王が薨去された後、彬子さまが、とあるコラムにて発表されていた内容に関して注目すると、そのコラム中に、以下のような文節が存在する。

『寛仁親王が薨去した時に、寛仁親王邸に慰問客が引っ切り無しに来ていて、慰問客への対応に追われていました。この時、私はこのような事が始めての事で、お茶をお出しする事に不慣れな状態でしたが、〝おば様(寛仁親王の姉妹)〟からお茶の出し方を教えてもらった御蔭で、何とか対応する事ができました。その他にもこれからの事やその他の事の相談に乗ってもらい、とても頼りにさせて頂き本当に感謝しております。』

上記のような内容である。

注目すべきは、降嫁された親戚の〝おば様(元皇族;内親王)〟に対する感謝が中心となった文章構成でもある事である。

純粋なる感謝の気持ちを世間の皆々様にも御知らせしたかったか否かについては、私が知る所ではないが、今迄、彬子さまは、親戚に関する話を一切公にされてきた事が無い。

それどころか、「寛仁親王家は長らく一族の中で孤立していた」と〝2015年に述べている〟のである。

にも拘らず、寛仁親王が薨去された途端に降嫁された親戚の〝おば様(元皇族;内親王)〟の話が出てくると同時に、

〝おば様(元皇族;内親王)〟に対する感謝を、誰もが閲覧できる媒体にて「コラム(報道)」という形で発表されていたのである。

即ち、【概要:矛盾点明示に使用する独自理論の解説】にて私が述べた理論に当てはめると、

    1. 2012年:「寛仁親王薨去(1)」

    2. 2015年:「寛仁親王家は長らく一族の中で孤立している旨(2)」

    3. 2015年以前:「〝おば様〟から来客に対する手ほどきを頂き、相談にも乗って貰っている話(0∞≒3…)」

上記の時系列となる。

よって、2012年:「寛仁親王薨去(1)」を時間軸上の起点として考察すると、

「〝おば様〟から来客に対する手ほどきを頂き、相談にも乗って貰っている話(0∞≒3…)」は、〝2015年以前〟であるが故に、2015年:「寛仁親王家は長らく一族の中で孤立している旨(2)」との整合性が取れず、矛盾点が浮上する事となる。

即ち、コラムから浮上するのは、「時間の経過という不変的な概念に不規則性を含有する矛盾点」であり、

これを数列にすると、またしても〝(1)(3)(2)〟となるのである。

彬子さま自身にとって、父である寛仁親王の存在がバックボーンとなっており、

且つ、その寛仁親王の娘である彬子さま自身が三笠宮家の当主として相応しいとの正当性を主張したいと仮定し、発表されたコラムを分析すると以下となる。

コラムを通して多方面に〝おば様〟への感謝を発表する事により、第三者などを通じ、必然的に〝おば様〟の耳に深い感謝の意が入る事となり、「彬子ちゃんはこんな風に感謝してくれているんだ」という感情を引き出す事が可能となる。

更に、「〝おば様〟は私ができない事をそつなくこなせる素晴らしいお方」という形で、〝おば様〟の株を持ち上げる事ができる。

即ち、『へりくだりて相手を持ち上げ、相手側から見た自身の印象を最良にし、相手側が自身の支持者となった際に、自身に対する周辺の印象をも、支持者により、雪だるま式に最良の状態としようとする意図が見えてくる』事となる。

即ち、彬子さまは「自身を支持する味方が欲しい」為に、〝おば様〟を強調した事となる。

しかし、2015年:「寛仁親王家は長らく一族の中で孤立している」と述べている事を思い返すと、

〝おば様〟は、支持者とならなかった可能性も見えてくるのではないだろうか。

それとも、以前に自身が述べたコラムの事を、お忘れなのであろうか。

以上が、彬子さま自身が今迄に行ってきた発言に関する分析結果である。

【5-昭和天皇の兄弟である三笠宮崇仁親王が薨去される以前から出ていた彬子さまは良い孫である印象構築法】

本項目では、2016年10月27日、三笠宮崇仁親王が100歳で薨去される以前と以後に、

彬子さまがとられている言動及び行動について分析する項目とする。

人間100年時代と言われ始めて久しいが、やはり人間である以上、寿命というのが存在する。

そこで、三笠宮崇仁親王が100歳間近となり始めた時期に焦点を絞り、分析して行く。

何故ならば、【4】にて記述した分析を元にした場合、

〝おば様〟以外にも心理学的な要素が存在する可能性があるからである。

即ち、『へりくだりて相手を持ち上げ、相手側から見た自身の印象を最良にし、相手側が自身の支持者となった際に、自身に対する周辺の印象をも、支持者により、雪だるま式に自分にとって最良の状態としようとする意図が見えてくる』事から、

彬子さまは「自身を支持する味方が欲しい」との分析に至るのであり、

この様な思惑が実際に存在している際には、『〝昭和天皇の御兄弟〟である、三笠宮崇仁親王』に関しても、何かしらの利用価値を見出している可能性が無いとは言い切れないからである。

ちなみに、昭和天皇は、教育勅語を残されているが、

勅語の中で『父母に考に兄弟に友に夫婦相和し』と述べられている。

しかしながら、保守派層から支持されてきた寛仁親王家は、上述してきた状況であり、

且つ、彬子さまに至っては、寛仁親王が薨去された後も尚、母である信子さまとの間で深い確執及び、

三笠宮家の当主としての跡目を争う姿勢を示している上に、極めて矛盾する言動行動をとられている。

したがって、何かしらの利用価値を『〝昭和天皇の御兄弟〟である、三笠宮崇仁親王』に見出していないとは言い切れない。

よって、以下に、三笠宮崇仁親王が100歳で薨去される以前と以後に、彬子さまがとられている言動及び行動について分析し、記述して行く。

まず、彬子さまが大々的に公表されている話の一つに、「生前、祖父である崇仁親王から聞いた話」がある。

概要としては、「戦後GHQによって皇室財産が押さえられる前は三笠宮家も使用人が沢山居てお金もあった」

との話を聞いた旨である。

尚、この話が公表され始めたのは、『寛仁親王が薨去された後』である。

即ち、現代の世論として「お爺ちゃん臭い。お婆ちゃん臭い。」という、

孫から発せられる、実に非情な声が多いという世論をベースとして考察して行くと以下の事柄が見えてくる。

    1. 彬子さまは祖父である「〝昭和天皇の御兄弟〟の三笠宮崇仁親王」を慕い日頃から昔話を聞いている優しい孫である事。

    2. 高円宮家含め,祖父から昔話を聞いている話しがほとんど無い事。

以上であるが、上記1の事柄が大々的に報道され始めたのは、

『寛仁親王が薨去された後も、母である信子さまとの間で深い確執がある事』が、

週刊誌によって世間に公表され始めてからである。

即ち、自身が三笠宮家の当主として相応しいとの姿勢を先鋭化させた時期に符合する事となる。

何故、三笠宮家の当主に関する話が燻り始めたのかといえば、

『人間100年時代と言われ始めて久しいが、やはり人間である以上、寿命というのが存在する』からであろう。

この時期に符合するのが、

『1:彬子さまは祖父である「〝昭和天皇の御兄弟〟の三笠宮崇仁親王」を慕い日頃から昔話を聞いている優しい孫である事』

上記である。

彬子さまは実際に、公表される以前から、祖父である三笠宮崇仁親王を慕い、日頃から昔話を聞いていた優しい孫であるのかもしれない。

しかしながら、私が述べている事は、日頃から昔話を聞いていた優しい孫であるか否かでは無く、

何故、三笠宮家の当主に関する話が燻り始めた時期に、「〝昭和天皇の御兄弟〟の三笠宮崇仁親王」を慕い、

日頃から昔話を聞いている優しい孫である事を公表し始めたのかである。

即ち、何かしらの利用価値を『〝昭和天皇の御兄弟〟である、三笠宮崇仁親王』に対し、見出していないと断言する事は極めて困難な状態ではないか? という事である。

即ち、「お爺ちゃん臭い。お婆ちゃん臭い。」というような孫から発せられる、実に非情な声があるとの世論の中に於いて、「彬子さまは、世論とは違いとても良い孫である」との認識を広げ、自身の支持者層を身内から外側に大きく拡大しようという意図があったのではないか? という事に至るのである。

何故、その様な意図がある〝可能性〟を挙げる事ができるのかといえば、先述した〝矛盾点〟及び、〝おば様〟の例があるからである。

又、「崇仁親王が〝昭和天皇〟の兄弟」である事は、崇仁親王が薨去された際に大々的に報道される事は必至である上に、薨去される以前から「彬子さまは、世論とは違いとても良い孫である」との認識を世間に根付かせておけば、後々、崇仁親王が薨去された際に、新たなる保守派層及びタカ派からの支持を得やすくなるであろう事が見えてくる。

更に、崇仁親王が薨去された後に、

「彬子さまは、世論とは違いとても良い孫である」との話を断続的に出した所で不自然さが際立たなくなる〝利点〟も生じるであろう。

尚、何故私が、「新たなる保守派層及びタカ派からの支持を得やすくなる」と記述したかといえば、

三笠宮崇仁親王は、保守派層から「赤い宮様(左翼)」と言われているからである。

三笠宮崇仁親王の息子であり、彬子さまの父である寛仁親王は、かなり有名な、かなりの保守派である。

即ち、彬子さまは、かなりの保守派である父を尊敬し、その思想に呼応して生きてこられた筈なのであるが、

何故か、崇仁親王が薨去される直前から、「彬子さまは、世論とは違いとても良い孫である」との印象付けが始まったのである。

それどころか、現在、彬子さまは、「祖母である崇仁親王妃百合子さま」に関しての動きも活発化されている。

具体的には、本年、〝平成30年(2018年)の歌会始の儀に於いて公表された和歌〟にて、

『祖母宮の紡がれたまふ宮中の昔語りは珠匣のごとく』と歌われているのである。

即ち、読んで字の如く、「祖母である崇仁親王妃百合子さまを称える歌」を発表されているのである。

尚、崇仁親王妃百合子さまは、2018年の現在も御健康でいらっしゃる。

その他にも、『皇室-珠匣のごとく展』という様なイベントを、〝おばさま〟関連の常磐会協賛で企画され、彬子さまは〝ご公務〟として精力的に活動(出席)をされている。

以上、私が上述してきた事柄が、本項目にて分析した事柄である。

《尚、これらを精神医学の権威が分析した際に、如何なる分析結果となるのか、個人的に興味が有る所でもある。》

三笠宮彬子女王(彬子さま)彬子さまと瑶子さまの結婚に立ちはだかる三角関係信子さまとの対立と矛盾

彬子さま(長女)

三笠宮寛仁親王(スキーの父) 三笠宮彬子さまと瑶子さまの結婚に立ちはだかる三角関係信子さまとの対立と矛盾

寛仁親王(父)

三笠宮瑤子女王(瑤子さま)彬子さまと瑶子さまの結婚に立ちはだかる三角関係信子さまとの対立と矛盾

瑶子さま(次女)

三笠宮寛仁親王妃信子(信子さま)彬子さまと瑶子さまの結婚に立ちはだかる三角関係信子さまとの対立と矛盾

寛仁親王妃信子さま(母)

信子さまは麻生太郎 氏の妹である。即ち、彬子さまと瑶子さまは麻生太郎の姪(義理の娘)である。

〔追補-同時期に突如として高円宮家がおこなった印象構築手法|あと書き〕

高円宮家の御姉妹は、2014年8月10日に崇仁親王を囲み、三姉妹揃って撮影した写真を、次女である千家典子さん(出雲大社)が降嫁された後の同年12月に公表している。

威光付け?三笠宮崇仁親王と高円宮承子さま・典子さま・絢子さま(彬子さまと瑶子さまの結婚に立ちはだかる三角関係-信子さまとの対立と矛盾)‐皇室問題分析室

撮影日時:『2014年8月10日:三笠宮崇仁親王(99歳)』

以上,本項目に於いて、三笠宮彬子女王(彬子さま)に焦点を絞り、

今迄に彬子女王が述べてきた事柄に関する矛盾点を記述させて頂いた。

※この項目は、以前も公表していた内容であるが、一語一句違わぬ内容であるか否かの保障はできない事を述べさせて頂く。

※関連項目:美智子様の威光を利用する紀子さまが述べた矛盾|良心と恋愛観の歪み


尚、これらの事柄に関し、本項目に於いては記述していない高円宮家に関連する矛盾点も無数に存在するが、

【概要:矛盾点明示に使用する独自理論の解説】の最下段に記述した〔注意事項〕を改めて記述させて頂き、

一旦、本項目を結ぶ事とする。


本項目に於いては、三笠宮彬子女王(彬子さま)自身が矛盾した事を述べているのか、

週刊誌等の報道が矛盾した事を書き連ねているのかについては、私は断言していない。

飽く迄も、私は、独自理論によって発露した、明確なる矛盾点を提示しているだけである事を述べさせて頂く。

即ち、各種報道が誤りであった際には、私が分析した矛盾点は存在し得ない事となる。(週刊誌に手記すら寄稿していない場合。)

したがって、本項目を御覧下さっている皆様に、『週刊誌等の矛盾』か『三笠宮彬子女王の矛盾』か『信子様の矛盾』であるか判断を委ねる事とする。

尚、私は週刊誌等の報道機関ではなく、《告発者》であり、理論上明確となっている矛盾点を提示しているのみである事を改めて述べさせて頂く。

★このWEBサイトに何らかの問題がある際は、管理者(著者)である〝実態を知る者(Teda Wakou)〟に御連絡下さい。

■連絡先mailアドレス:info.gekiranku@gmail.com

※メールの誤送信を防止する為、全角の@となっております。連絡の際は、全角@を半角@に変換して送信して下さい。