三船殉難事件の体験談を札幌在住の生存者から聞いた。様々な情報が交錯する終戦宣言後の北海道に関する史実を三船遭難事件の生存者の証言を元に分析し公表する。他、樺太真岡郵便局電話交換手の女性達が集団自決をした本当の理由など。
三船殉難事件の体験談を札幌在住の生存者から聞いた。様々な情報が交錯する終戦宣言後の北海道に関する史実を三船遭難事件の生存者の証言を元に分析し公表する。他、樺太真岡郵便局電話交換手の女性達が集団自決をした本当の理由など。
【三船殉難事件の船舶の乗船者‐生還した男性の証言】(以下、2015年記述)
私が乗船者から直接聞いた話を記述したい。
この方は現在80歳間近であり、一流の職人である。
現在、札幌市東区にて、ご兄弟でラーメン店を経営されている男性である。(私のTwitterを御覧下さい)
当時、この方は小学生程であった。
樺太に一家で住んでいたそうで、終戦時に樺太からの引揚船に乗っていたと聞いている。
引揚の際、船上の甲板に兄弟と居たそうで、どこからともなく現れた舟により『機銃掃射』を受けたと聞いた。(狙って打っていれば機銃照射であろう) この際に、耳の横を機関砲の弾丸がかすめ、鼓膜が破れたと聞いている。
この方は、兄弟を守る為に覆い被さりその場に伏せたそうだ。
勇気ある行動があり、幸運にも被弾する事無く帰ってくる事ができたようである。
この際、甲板上には他の乗船者も居たそうで、複数人が機銃掃射の犠牲となったと聞いている。
この方が乗船した舟は、機銃掃射は受けたものの、沈没する事無く航行したという事である。
戦後からそれなりの時間が経過している為、この方が話をして下さった事と、三舟殉難事件とを比較した際に相違する点が一つある。
それは、『引揚船は〝2隻〟であって』という事である。
当時、引揚船に乗船する時間が違った為に、不幸中の幸いであろう、撃沈された船には乗船しなかったという事である。
ここで一つ、公表されている情報と、明確なる違いを示す『重要な話』を記述したい。
当時、この船に乗っていた引揚者の中には、〝軍人も居た〟という事である。
したがって、浮上してきた潜水艦が、どこの国籍の潜水艦であるのかを見分ける事ができる可能性がある。
私が聞いた話では、この男性が乗っていた引揚船に対し機銃掃射を行った潜水艦は、『日本軍の船』だという話が船内で広まっていたという事である。
したがって、話を聞いた当時の状況を分析してゆくと、
『潜水艦は浮上し,機銃掃射をしている為に目撃されている』
『軍人も多数乗船している船内では,日本軍が機銃掃射をしてきたという話が出ている』
『この男性の鼓膜が破れたのは、「引揚船が機銃照射を始めた為である」という事も言っている。』
上記の点である。
※繰り返すが、この男性は、引き揚げ船に設置されている機銃近くに居たそうだ。(鼓膜が破れたのは、この発砲によるとの話も聞いている)
※そもそも潜水艦は潜水しているから有効な兵器となるうえに、敵艦が完全に沈没していない状態に於いて浮上した場合、反撃を食らう恐れが極めて強い。 したがって、浮上している姿が目撃されているという事は非常に重要な証言となる。
例えば、日本軍が自国の引揚船に対して危害を与えたと仮定するならば、何らかの理由があったからであろう事が見えてくる。
では、どの様な理由があり、自国の引揚船に危害を加えたのか、この点を分析してゆくと、
『樺太』:サハリン(樺太)
『満州』:満州国概況
『真岡郵便局事件』:終戦直後に電話交換手が〝集団自決〟
上記に結び付いてくる事となる。
まず第一に、満州では芥子が栽培されていたという事、なにより芥子を流す事により資金を調達していたという事である。 アヘンのルートはどこであったのか、樺太と北海道が担っていた役割は、どのようなものであったのかという事である。
次いで、満州にて謀略が発生した『張作霖爆殺事件』や『満州事変』の根本は明治時代であるということ。
明治維新から領土拡大と覇権の拡大を行い、『第二次世界大戦を引き起こした』という事である。
この時期に、ソ連に近づくと同時に、ソ連をも踏み台にしようとした事が見えてくる。
第二次世界大戦に突入する際、日本は、ソ連含め数カ国の重役と合い話をしている事も重要なポイントとなってくるだろう。 また、『芥子坊主が分泌する乳白色の液』から生成されるモルヒネには強力な鎮痛作用があり、戦地では負傷兵の治療に使われたのは周知の事だろう。 したがって、戦争の下準備としての満州での芥子栽培があった事も指摘できるだろう。
では、大量の芥子を栽培していたにも拘らず、日本軍は戦時中にモルヒネが不足した事態は、どのように説明する事ができるのかを述べたい。
極めて単純な話となるが、満州で栽培されていた芥子は、外貨獲得の為であり、『戦場にて使用する事は想定していなかった』のではないだろうかという事が見えてくる。さらに、満州と樺太はソ連(ロシア)に近接するので、欧州諸国に攻め入る際には重要な地点となってくる事が見えてくる。
要するに、芥子をロシアに流し、外貨を獲得すると同時にロシアを嵌め込み、本当の目的である欧州侵攻に備えたのではないかという事が見えてくるのである。 満州と樺太を丸で囲った際には、ソ連侵攻の際に挟み撃ちとできる地理的関係にある事が見えてくるのではないだろうか。
したがって、満州と樺太を基点とし、満州鉄道と、ソ連の既設鉄道を繋ぐ事ができ、欧州圏に及ぶ国土の拡大と覇権を手にする事を前提とした戦略的な土地であったととらえる事ができるであろう。この事から、ソ連にモルヒネを供給し、時期が来たらソ連を統治し、世界を統治するという日本の構想が見えてくる事となる。
以上の事から『満州』と『樺太』の関連性を指摘できる事となるのである。
【※重要事項(追記日:2018.10.28)日本の公的組織が乗船者に接触を図っていた場合】
尚、上述した乗船者及び、その家族に対し、日本の情報機関である公安警察等が接触を図った場合、乗船者が話している実体験を、自国にとって都合が良いように歪曲しようという事になるであろう。
日本(外務省等)がロシアに対して抗議声明を行ってきている事自体が不条理となる可能性すら出てくる。
したがって、日本にとって不都合となる話を潰す為に公安警察等が接触しているという事となるからである。
即ち、私が乗船者から聞いている話が変わった場合に、公安警察等が接触していたのであれば、
『歴史を捏造する為に、公安等が接触していた。』という事となるからである。
例え、公安警察等が、「歴史を捏造しようという意図は無かった。」と言った所で、〝情報機関〟という性質上、捏造の意図が無いという事はありえないからである。
さらに、北海道警察の特徴として挙げられる事柄に、『でっち上げによる手柄作り』が、実際に行われたという前科がある。 要するに、〝内政の問題〟と〝国際的問題〟を理解できていないが為に、『稲葉事件や北海道警察裏金事件』が発生しているのである。
即ち、私に対して懇意にして下さっている方や、その家族に対しての「三船殉難事件の真相隠蔽工作」が発生した場合、極めて重大なる《国際的問題》を作り出したという事となるのだ。
したがって、「歴史を捏造する意図は無かった。」と述べた所で、乗船者や、その家族に接触した時点で「真相隠蔽工作」を行い始めていると「国際社会はみなす」事となる。情報機関である以上、「乗船者とは知らなかった」は通用しない。
国際的問題という重大な事を理解できない連中が関わっている以上、更なる重大な問題が生じる事が必至となっているのだ。
これらの話は、私の妄想では済まされない。
何故ならば、統計学の範疇となる確率論で述べた際に、これら一連の事柄は『必然的事由』となるからである。
妄想で済まそうという、実にやましく浅ましい考え方で事に当たって来た事は、〝死〟を意味する事となるのは必然である。 作り出した国際的問題の〝示しを付ける為〟には当然の事となるであろう。
北海道警察がいかようにして『でっち上げによる手柄作り』を行っているのかについては、『●次のページ』や、下記《※公安の尾行監視について》でも、その詳細を述べているので、そちらを御覧頂きたく思う。
尚、私がこの事柄を追記したのには理由がある。
公安警察等が既に、私を徹底監視・徹底尾行しているからである。
これらの事柄に関しても御一読願いたく思う。
※追記(2020年02月25日):2019年5月、三船殉難事件の方が廃業された。
前年の11月15日、道警の公安一課課長補佐の久保哲彦警部含め複数人が私を尾行待ち伏せし、店から出た私を店舗敷地内で取り囲み、近隣に聞こえる程の大声で絡んできた。 この様な事が公然と行われている。また、私が三船殉難事件の話をしても、ヘラヘラと笑いながら私の言葉を繰り返す状況である。
※追記(2020月04月11日):現在、この様な事を公然と行う当該人物(久保哲彦)は、北海道警察本部警備部外事課課長補佐に任命され、外事課の捜査官となっている。
【三船殉難事件と真岡郵便局事件の相関性(暗殺含む)】
それでは、『三船殉難事件』と『真岡郵便局事件』の繋がりは、どの様な事柄をもって指摘できるのか、以下に纏めてゆく。
先述した、『樺太と満州』を繋ぐ鍵は『モルヒネ』である事を考慮したうえで考えると、実に単純であり、欧州侵攻とソ連統治の謀略が露呈する事を防ぐ為に、『樺太の引揚者』が乗った船を撃沈したという事が見えてくるのである。
おそらくは、引揚者の中に重要な人物が乗っていたのであろう事に間違いないであろう。(乗船者が未だに不明)
また、『真岡郵便局事件』で自決した稚内の電話交換手は、樺太と北海道・日本本土を繋ぐ重要な役割を担っていたと見る事ができ、樺太からの電話を繋いでいた事から、
『重要な人物』が連絡を取る為に電話を掛けた記録を知っている『重要な証人』となる事は明白であろう。
したがって、『真岡郵便局事件』の交換手は自決させられたと考えるのが一番腑に落ちる結論となるのである。
以上の事を以って、『満州』『樺太』『真岡郵便局事件』の繋がりを説明する事ができる。
更にこの事は、現代で発生した『稲葉事件』にも繋がりがみえてくるだろう。
稲葉事件:北海道警裏金事件(ロシアと旭川と富良野と留萌)
※私、〝実態を知る者〟の曽祖父である『三次朗』の妹は、第二次世界大戦中に、
『軍部関連の電話交換手業務に就いていた』そうである。(真岡郵便局では無いと思われる)
この曽祖父の妹は、終戦後数年の時を経て、『病死』した。
私の家系には、若くして『交通事故死や病死』といった、『不自然な死』が目立つ。
私が、これまでに述べてきた事により、〝実態を知る者〟は、天皇家;政府の謀略の的となっている事は、以上の事から見ても説明できるだろう。
※2013年4月と本年(2015年4月)、同様の事を、『まとめNAVER』と『ここと同様のサイト』にて、これだけの情報を公開したが、この時も『削除』された。
今回再び、これを記述し公開したが、再び『政府の圧力により企業が動かされ』削除されるのだろうか?
※これを記述している私は、現在29歳となった。
依然として、政府から国家犯罪の被害を受けている。(2015)
※これらを記述している私は、現在32歳となった。
依然として、政府から国家犯罪の被害を受けている。(2018)
※同上、2019
※同上、2020
※同上、2021
※同上、2022
※同上、2023
※同上、2024
※追記:2019年5月、三船殉難事件の方の店は廃業された。
【時系列順:事象年表】
1944年:第二次世界大戦、私の祖父が召集される。甲種合格となり近衛師団に配属される。皇太子(平成の天皇)就けの近衛連隊となり、疎開先の栃木県日光御用邸などに随行する。
1945年:日本敗戦。宮城事件などが発生するが祖父は関わらず帰郷。
1972年:札幌オリンピックが開催される。三笠宮寛仁親王が札幌に一時移住してまで関わる。
1972年:笹川良一が北海道の〝江ノ島〟に関係がある島牧に行き、偶然〝ゾウの花子〟と会う。感激した笹川は話を広め、パラグアイ大使などを巻き込み、全国的に〝象の花子ブーム〟を創り出す。
1973年:紀子さまの実家、川嶋家で長男が生まれる。長男の名前に〝舟〟と付けられる。
1981年:三笠宮に長女が生まれる。彬子と名が付けられる。お印は〝雪〟。
1984年:川嶋紀子と礼宮文仁(秋篠宮)が学習院大学で知り合う。
1986年6月26日:礼宮(秋篠宮)が学習院で川嶋紀子に求婚をする。
1986年7月30日:私、達伊和洸が生まれる。(当たり前だが皇族とは無関係)
1988年1月7日:昭和天皇崩御。
1988年:平成に改元。
1988年8月26日:川嶋と礼宮(秋篠宮)の結婚内定が報道される。
1990年6月29日:川嶋と結婚した事により秋篠宮が創設される。
1991年:秋篠宮家に長女が生まれる。
1994年:私の隣家が空き家になり、私と同じ年齢のプリシラという女の子がいる〝伊藤プリシラ一家〟が住み着く。同一家にはコロンビア人のメイドが居た。この事柄を発端に、警察を名乗る者による不法滞在の聞き込みが我が家に来ていた事もある。これにより、「工作対象の伊藤? 〝外国人犯罪・組織犯罪〟の伊藤プリシラ一家の事ですから。」と言える状況が作られていた事となる。すなわち、私の家に対する工作活動のスケープゴートのプリシラ一家であった事が明確となっている。数年後プリシラ一家は突如として居なくなった。※詳細⇒https://twitter.com/WakouTeda/status/1643243225434685440
2001年:令和の天皇(浩宮)に娘が産まれる。敬宮愛子と名付けられる。尚、私の母の名には敬が付く。父には浩が付く。
2002年:勤務先のバイク屋(暴走族もよく来る)(2001年9月設立だと思ったが少々あいまいである)に、秋篠宮を名乗る人物が来る。道東の方に仕事で来ていて、珍しい古い車両を扱っていると聞いたから来た。自分は黄色い初代ビートルに乗っていたと話す。この時、私の車両に貼ってあった貰い物の右翼風ステッカーに、当該人物は極度な反応をする。(これうちの家紋、こんな風に使って・・・)
2003年:勤務先に警察を名乗る連中が来る。未成年者に対する性犯罪の聞き込み)※私には一切聞いてこなかったうえ、捜査(表向き)も逮捕もなかったが、上司にお前何かやったか?と聞かれる。この時、私の車両に貼ってあった貰い物の右翼風ステッカーに、当該警察は極度な反応をする。(これ誰のバイク?何でこんなステッカー貼ってあるの?等々)
2003年or2004年:7月30日、勤務先にスーツ姿の自称警察の複数人が来て、『ようやく見つけた。明治天皇って知ってる?今日何の日か知ってる?明治天皇が死んだ日だよ?』という事を私に対して言ってきた。(7月30日は私の誕生日である)
2004年:隣の整備工場に窃盗団が入り、ランドクルーザーが盗まれる事件が発生する。直前に、日本人運転手と、日本語が話せない外国人4名が乗ったバンが勤務先を訪れており、この周りにRV車は無いかと聞きにきていた。
2004年7月:原付バイクを販売した相手に、黄色い初代ワゴンRを薦められ、10万円で購入する。(紅葉山公園にて受け取り)
2004年10月:バイク屋を辞める。
2006年2月:工業高校定時制を卒業する。
2006年2月:チュウゴクモクズガニ(上海蟹)が環境省より特定外来生物に指定される。尚、近衛兵だった私の祖父は戦中に平成の天皇に猿蟹合戦の芝居を観せた過去がある。猿蟹合戦の蟹はモクズガニである。
2006年6月:海洋研究開発機構(JAMSTEC ジャムステック)での仕事を、測量関連の仕事をしている父親の知り合い経由で紹介される。仕事内容は、数ヶ月間乗船し、竹島周辺海域において、エアガンを使った海底調査で使用したガンの分解整備との事であった。当該仕事はお断りした。
2006年9月:秋篠宮家で長男が生まれる。
2008年2月:飼っていた猫が9歳で突然死する。
2008年3月:創価学会の戸田城聖が生誕した聖地でもあり、ハマナスが有名な石狩市の厚田にて、多頭飼育で行政トラブルとなっている人物からアイヌ犬の仔犬を貰う状況が生じる。
2008年8月27日:アフガニスタンで伊藤和也 氏が殺害される。
2008年8月31日:満州から引き揚げ創価学会へ入信していた同居する祖母が衰弱死する。子宮頸がんの疑いとされ、スコープを入れられたが、高齢のため癒着しており出血したとの説明、脳梗塞の薬の影響もあり出血が止まらなく、輸血を繰り返すも衰弱死。(平家閉経出血死のような状況)
2008年9月~10月:小和田雅子に繋がる、NGP 日本物理探鑛株式会社の旧日本軍中国遺棄化学兵器処理事業の仕事を、測量関連の仕事をしている父親の知り合い経由で紹介される。当該仕事内容は、測量助手募集との紹介であった。10月、指定された市立札幌病院にて「狂犬病・破傷風・A型肝炎」のワクチン接種を受ける。当該知り合いは、測量特殊潜水士等、国の仕事を引き受けている人物である。
2008年10月:同月に知り合った〝のの〟と自称する自称風俗嬢を、一人では怖いから連れて行ってくれと頼まれ札幌山鼻のレディースクリニックに連れてゆく。この時、自称秋篠宮の娘が居合わせるような状況が作られていた。
2009年1月:先述した美人局をおこなっていた加害者でもあり被害者でもある少女と再会する。この時、美人局の話や警備系警察官からの性的暴行の話を打ち明けられる。
2009年12月28日:元近衛兵の祖父が亡くなる。
2010年5月29日:兄弟と釣りに行った際、在札幌ロシア総領事館の人物と釣り場で遭遇。釣れたか会話をする。明確に領事ナンバーの車両であった。(在札幌ロシア総領事館に居る公人の行動及び情報を把握し利用できるのは諜報機関を自負する公的組織である。よって、世界中を冒涜する異常な行いにロシア連邦国の公人が利用されていた事が明確となる。詳細:https://twitter.com/WakouTeda/)
2010年10月23日~24日:日本の公的組織により鬼畜英米反中露思想の右翼デモ活動へ参加させられる。この時、左翼的とされるペシャワール会の伊藤和也に関連付けを行われている。(左翼に関連付けて右翼の活動をさせた私達は面白い。といった所であろうか?)
2012年2月:やらされていた右翼活動を辞める。
2012年6月:2004年に勤務先へ来た運転手を、遠別町で見かける。この時は、一人の外国人と居た。
2013年12月04日~7日:みよしの餃子で食事を摂る。店内にて集団での異常な動きも明確に発生。店内では、私の左隣に作業服姿の男が二名「これで来なかったら達伊さん大変な事になるよ。うちの社長モニタ見っぱなし。」との発言。右斜め前に秋篠宮のような口髭を付けた黒いスーツ姿の男一人、ニヤニヤし、私を何度も見ながら、これ見よがしに〝食事作法でいうところの犬食い〟を繰り返す。この日から、異常な行いが四六時中へと変化し、エスカレートしてゆく。
2014年03月27日:札幌連続ボンベ爆発事件に私が直接巻き込まれる。(ジョイフルAKにて)
2014年05月04日:伊藤和也 氏の娘さんである伊藤華奈さんが殺害される。容疑者は錦野昌行とされているが、不自然な自殺で真相不明となる。尚、錦のショウコウは、同年開催の伊勢神宮式年遷宮の日程にて自殺している。容疑者の車両はロシアと関係が深い小樽港に放置されていた。
2016年03月06日:告発の為、白旗山で開催の宮様スキー大会にて事件を起こす。(前代未聞の事件により注目を集め、被告人弁論にて国家犯罪の実態を述べようと画策した)
2016年11月01日:精神福祉法の濫用により統合失調症の妄言であると診断が下され〝札幌花園病院へ1ヶ月・後4ヶ月を市立札幌病院〟への措置入院(強制入院)という甚だしい人権侵害が行われる。尚、当該強制入院は、5ヶ月間もの間、ベッドに5点拘束で縛り付けられていた状況である。食事・排尿・排便も全てベッド上にてさせられていた。
2016年:警察権益拡大の為、精神保健福祉法改正案が提出される。(警察の介入による精神障がい者の情報収集及び監視網構築法案)
2017年:精神保健福祉法改正案が国会審議へと入る。(反対意見が噴出する)
2019年03月06日:ペシャワール会の中村哲と天皇皇后(平成)が会談。(2016年3月6日から〝3年後〟)
2019年12月04日:ペシャワール会の中村哲がアフガニスタンで殺害される。
2020年4月22日:私の自宅に北海道警察本部警備部公安一課の捜査官および爆発物探知犬や爆発物処理班が家宅捜索に入る。2016年3月6日の家宅捜索で発見しながらも意図的に押収せず放置していった火薬類及びパソコンやメモ帳等を押収してゆく。《尚、4月22日は、中国にモクズガニ輸出をおこなっている企業の経営者の誕生日である。この事は、2020年9月に経営者から聞いて初めて知った。家宅捜索は、意図的な日取りである事が分かる。》※リンク⇒twitterにて詳細言及
2020年4月26日:2016年3月6日の家宅捜索で警察が発見しながらも意図的に押収せず放置していった火薬類を所持した「火薬類取締法違反の容疑で逮捕」される。尚、「オリンピックのテロ対策で警戒していた道警がテロを起こす危険が高いと判断して捜査を行い逮捕した。テロを未然に防いだ」と報道あり。
2020年5月15日:札幌東警察署から釈放される。
2020年5月18日:札幌地方検察庁が不起訴の判断を公表する。(精神障害の疑いによる不起訴の場合は、精神保健福祉法に規定されている通報制度が執られ、検察より担当行政へ通報が行き強制入院が問われるが、今回の不起訴の場合、担当行政への通報は無かった。よって、起訴後の有罪確率の高低及び、不祥事関連発覚の忌避による不起訴である事が明確となっている。)
2021年8月15日:アフガニスタンが、反米勢力タリバンによって完全掌握される。掌握宣言が出されたのが8月15日である。
2021年9月27日&10月26日:秋篠宮の長女の結婚相手、小室圭が帰国する。金銭問題等の解決ができたと公表し、翌月26日、結婚会見が行われる。(私が新型コロナウイルスワクチン接種の予約を行ったのは9月15日であり、接種日は9月27日&10月26日であった。9月15日の時点では、小室帰国や結婚会見の日取りは発表されていない。詳細は、Twitterにて公表しているのでそちらをご覧頂きたい。※リンク⇒Twitterにて公表)
2022年7月8日:安倍元総理が奈良県での参議院選挙応援演説中に、自作の銃によって射殺される。
2022年7月14日:わずか6日後に安倍元総理の国葬を『9月27日』に執り行うと岸田総理が発表する。国葬を提言した第一人者が麻生太郎衆議院議員である事が憶測として流されている。
2022年7月25日:安倍元首相を狙撃した山上容疑者は、飛躍した供述をしているとされ、秋篠宮文仁皇嗣の誕生日前日である2022年11月29日期限で精神鑑定が決定され、現在精神病院に身柄が移送されている。尚、11月29日は、2004年に死去した高円宮が火葬された日でもあり、その他の重要な事柄が生じている日でもある。※詳細⇒11月29日の関連
※三船遭難事件、小笠原丸の写真
【三船殉難事件(三船遭難事件)‐概要】
三船殉難事件(さんせんじゅんなんじけん)とは、第二次世界大戦末期(日本の降伏文書への調印予告、および軍隊への停戦命令布告後)の1945年(昭和20年)8月22日、北海道留萌沖の海上にて、樺太からの引揚者を乗せた日本の引揚船3隻(小笠原丸・第二号新興丸・泰東丸)が、ソ連軍の潜水艦による攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈没し、『1,708名以上が犠牲となった事件』を指す。三船遭難事件とも呼ばれ、現在に至っても尚、《未解決・未解明の事件》である。当該事件の起因は、日本が引き起こした第二次世界大戦である。
※三船殉難事件:小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸